100年後 未来の車

未来の車はファッションショーに似ているという説。
誰も知っているだろう、ファッションショーで見かけるファッションそのまま
現実の街を歩くのはちょっと浮世離れが甚だしいという感覚。
ショーでは濃縮100倍のエキスそのものが発表されると考えればいい。
実際に飲むのはそれを100倍に薄めた後のもの。
それを分かった上でファッションショーを見ないと、面白さが半減するかもしれない。


そこで100年後の未来の車だ。
何年先の未来の車という定義をしていなければ、200年先でも300年先の未来の車でもお題になる。
「未来の車は絶対に交通事故がない」「地上を走るのではなく、上空を飛んでいる」
みたいなファンタジーの世界の未来の車が語られるのも道理なわけ
現実の未来の車、それこそ5年10年先の未来の車を想像しても面白くはないでしょう。
いっそ突き抜けた未来の車を、そしてそこから薄まっていって数十年先に現実化されるアイディアを。

 

 

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ファッションショーを見ていて思うのは未来の車に似ているということ
「えぇ、これのどこが最先端ファッションなの?」という驚きは裸を強調したものや、
全身同じ色に統一されたものとか、ベーシックな何かに立ち返っているように見えるもの。
デザイナーさんたちの専門的な目で見れば新しいのだろうが、古いというか現実そのものに見える服もある。

所詮は人間同士、新しい発想なんて数あるものではない
昔からの基本の使いまわし、ちょっとしたアイディアで十分だと思う。
だから100年後の未来の車といえども突飛なアイディアを求めず、
私たちは先祖様たちが築いてくれたものを大切にすればいい。

 

50年後 未来の車

外環道を走っていたハタチの頃、今思えば知識と経験が絶対的に不足していた。

50年後の未来の車を考えようとして、「自動運転」とか「CO2排出ゼロ」とか

派手なキーワードを並べる前に、一歩誤れば他人を傷つける危険運転を

引き起こしていた昔の自分のことに立ち戻ってみる。


カーナビもバックモニターもハイブリッドシステムもなかった時代、手動運転の感覚が強く残っている。

自動車という機械を、人という知能が操る、主体はあくまで人間だった。

聞こえは悪くない言葉だが、人間=ミスがあるわけで、そのミスは人を傷つける

 

 

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自動車のデメリットの本質は事故、暗くて表に出ないが自動車事故での怪我人・死亡者は深刻な現代病。

自動車メーカーが技術を競うのは自動車のメリットである便利さの追求のため?

いいえ、デメリットである事故死亡者の全体数の低減、可能性を下げるための取り組みだと信じたい。


50年後の未来の車でも一定の確率で自動車事故はあり、亡くなる人はいらっしゃるだろう。

突きつめていくと、私のハタチの頃のように十分な知識がないことが直接の原因、

例えばサイドミラーの死角や内輪差を理解していないとか、そういう安易なものが減少しているといい。

 

基本的な知識・経験不足を補うものが50年後の未来の車の人工知能であれば。

具体的なものは言葉にならないが、運転免許取りたてであっても初歩的ミスで人を傷つけない、

あるいは経験者ならではの慢心で基本的確認をおろそかにしたことによる事故を回避、

そういう夢を実現してくれるのが50年後の未来の車であると僕は考えている。


人間の感覚は大半が優秀でも、1割程度は粗が出る、自動車を扱っているとそれが最悪の事故につながる。

信じてはダメだよ、人間の感覚なんて。

 

技術の進歩がある未来では、機械に埋め込まれた人工知能によって人間が操作されるぐらいでいい。

目的は交通事故数の削減だ、50年後の未来の車への期待は事故被害で悲しむ人が減ること、それ以外にはない。 

僕が生きているこの50年の内に先が見えるかな。

 

未来の車

未来の車・プリウスは、ハイブリッド車界の小野道風さ

 

パワースイッチを押して走り出す。

駐車場の暗がりから車道の日なたへ変わると、ケンは悪戯な表情をしてそう言った。

 

「何て言うのかな、今のガソリン車は未来の車・燃料電池車へと進化してゆくよ。

その途中でさ、何でもそうだと思うけど、物事がはっきりと変わる転機ってあるよね?」

 

 

 

 

助手席から覗く彼の視線の先には、なんだか難しいコクピットモニターがある。

ディスプレイされているモーターとエンジンの難しい燃費情報も、

ケンにとっては爽やかに吹く春風のようで、いとも簡単に読みこなしてしまうのでしょうね。


「ちょっと変わったお話だよ。

日本人が書いている書って中国の書道に近いけど、決して同じではないって分かるよね。

中国から輸入された書道が長い歳月を経て、日本スタイル・和様に変化して現代まで生きているんだ

その書の筆跡を追うとね、これは日本の書道史ってことになるけど、

中世・平安時代の小野道風という人の書から、別物になっていることが分かるんだ」


「今度は書道のお話?あなたは本当に変わったお話を一杯知っているのね」

 

ケンって不思議。

ある朝は飛行機の飛ぶ原理のことを語ったと思ったら、ある夜はペルセウス流星群のことを語るの。

今度は何?日本書道史のお話って、どこでそんな知識を得ているの?


「有名なお話さ!中国からの輸入物と、日本固有の書、その違いを確立したのが小野道風だからね。

海外の真似からの脱却、日本文化の独立、青が藍から生まれて青に変わってゆく。

そうだ、藍は青より出でて藍より青し

僕は真っ直ぐ突き立てる過酷な中国書より、優雅な日本の書道のほうが美しいと思うよ。

和様漢字の美は小野道風から始まったって考えれば、僕の興味のありそうなことじゃないか」

 

 

 

 

「それは分かるな〜。でも書道とプリウスの共通点って分かんないな〜」

 

「1997年の終わりに販売されたトヨタ・プリウス。

ガソリン車全盛時代の今でこそ、まだ実感がないけど、

近い未来には燃料電池で走る車が主流になって、ガソリン車は時代遅れになるだろう。

まだまだ50年先のことだと思うけど、その時にみんなは振り返ると思うよ。

どこが昔の車と未来の車の境目なのか、って」


話を勿体ぶってケンが押し黙る。

声が途切れると、エンジン音はかすかに聞こえるものの、とても静かな車内。

これがハイブリッドシナジードライブの醍醐味。

 

「それがトヨタ・プリウスなんだよ!

プリウスが未来の車との境目なんだよ!

書は小野道風、車はプリウス、過去から脱却し、未来を切り開いたパイオニアたち。

プリウスって、素敵な響きじゃない?

”プ”っていう、破裂音の子供じみた、やんちゃなところ、

”リウス”っていう音は品格を出していて、それでも高級過ぎない感じ。

通して”プリウス”って発音すると、なんとも未来を感じさせる、

それでいてちょっと腕白で、でも異質過ぎない魅力的な音だと思うな」


「ケン、プリウスっていう言葉の意味は何?英語ではないと思うけど」

 

「そうだよ、英語じゃない。プリウスって奇跡みたいだ。

ラテン語で”先駆ける”を意味するのが、”プリウス”なんだ。

もうこれってはまり過ぎ。これ以上ない、最高のネーミングじゃないかな。

未来の車を”先駆ける”のがプリウス

商売を越えて、なんか神の符号みたいなものを感じるよ」

 

 

 

 

ご機嫌になったケンはEVドライブモードスイッチを押して、モーターだけの走行に切り替えた。

エンジン音がなくなり、モーターだけの静かなクルーズ状態。

 

「未来を先駆ける車、いいや、もうトヨタはプリウスで未来の車を先駆けたんだよ。

ハイブリッド技術は未来の自動車業界のメインキーワードだ。

この流れは燃料電池車につながって、車はCO2ではなく水だけを排出する。

あえて今、僕は宣言させてもらうよ、プリウスは未来の自動車界の小野道風だって!

きっと50年後に僕と同じことを言う専門家が現れるだろう。それが僕の老後の楽しみさ。


そう言ってケンは楽しそうに笑った。

未来の車を見越して、ケンは自動車に何を託しているの?

わたしも考えてみようと思った。

ガソリンから水素へとエネルギーが変わってゆく過渡期に生まれたハイブリッド車だけど、

それって今までの大きな流れを断ち切る、未来の車の重要な変換期になるのでしょう。

 

未来の車のはしりがプリウスだって、わたし、なんかそう思えてきたよ、ケン!