100年先の未来の車

100年先の未来の車は、もはや自動車という存在に留まらない。

いわば厳しい自然環境から身を守るためのシェルター、そして究極の移動ツール。


あれは2010-2020年頃だったかな、

当時の先進国では電気自動車とかハイブリッドカーが台頭してきて、

だいぶCo2削減の意識が芽生えてきていた。
でもね、発展途上国ではそんなエコに対してコストをかけられないから、

経済発展を最優先にさせた結果、地球の生態系は歪んでいった。


そして地球に残ったのは灼熱の夏と、極寒の冬。

もはやその季節に外を歩いて移動するには限界があって、

ほとんどの移動は車でしないと肉体に負荷がかかる。
厳しい外気を防ぐ、これが100年先の未来の車の大切な役割になっていた。
 

 

 

 

だから未来の車は飛躍的に進化していた。

夏や冬の駐車中も、乗り込んだ直後にも人間の皮膚に負担のない気温を維持する性能。
100年先のクルマは凄いよ、夏だって車内がモワーっと暑くないように工夫されている。
100年先の車はエライよ、冬だって車内がキーンと寒くないように改善されている。
厳しい外気を防いでくれるシェルターカー、それで人間は身を守りつつ、移動を続ける。


えっ、1人1台になったら渋滞がもの凄いことになるんじゃないかって?
いやいや、未来の車は自動操縦機能があって、個人がアクセル・ブレーキを判断しなくとも

安全かつ最速で目的地へ運んでくれるから、自然渋滞なんて発生しないんだ。


だから未来の車は究極の移動ツール、もはや人類は100年先には自動車を手放せないよ。

 

1世紀後 未来の車

未来の車も1世紀後になると、もう車の性能とかデザインとかの話ではなく、

そんな先まで車を生産できる国というか地域はどこか?という話になる。

なにしろ、車の組み立て部品や電装部品、

それから車の設計・生産には大変な経済活動が見込まれる。


この先1世紀後にも自動車産業の恩恵・雇用を手中にできる国はどこか。

君はひょっとして、空を飛ぶ車とか、絶対に事故のない車とか、

1世紀後の未来の車にそんな夢を託したい?

 

 

 

 

ヨーロッパで生まれた自動車(最初は蒸気自動車)、

1769年から現代まで、わずか300年にも満たない歴史。

1世紀後の未来の車となると予知が難しいレベルだね

生産活動自体は欧米や日本を離れて、アジアが中心の今。

この先を見通すとなると、最後の聖地とされるアフリカなのか、南米になるのか、

それとも一回り回帰して先進国で生産するのが1世紀の未来の車なのか。


自動車産業の権益を握るものが、世界の経済活動の一翼に担うことになるのは間違いない。

10年先ではなく、1世紀先の未来の車は、その存在自体がダイヤモンドの価値になるよ。

 

100年後 未来の車

未来の車はファッションショーに似ているという説。
誰も知っているだろう、ファッションショーで見かけるファッションそのまま
現実の街を歩くのはちょっと浮世離れが甚だしいという感覚。
ショーでは濃縮100倍のエキスそのものが発表されると考えればいい。
実際に飲むのはそれを100倍に薄めた後のもの。
それを分かった上でファッションショーを見ないと、面白さが半減するかもしれない。


そこで100年後の未来の車だ。
何年先の未来の車という定義をしていなければ、200年先でも300年先の未来の車でもお題になる。
「未来の車は絶対に交通事故がない」「地上を走るのではなく、上空を飛んでいる」
みたいなファンタジーの世界の未来の車が語られるのも道理なわけ
現実の未来の車、それこそ5年10年先の未来の車を想像しても面白くはないでしょう。
いっそ突き抜けた未来の車を、そしてそこから薄まっていって数十年先に現実化されるアイディアを。

 

 

未来の車を考える写真3.jpg



ファッションショーを見ていて思うのは未来の車に似ているということ
「えぇ、これのどこが最先端ファッションなの?」という驚きは裸を強調したものや、
全身同じ色に統一されたものとか、ベーシックな何かに立ち返っているように見えるもの。
デザイナーさんたちの専門的な目で見れば新しいのだろうが、古いというか現実そのものに見える服もある。

所詮は人間同士、新しい発想なんて数あるものではない
昔からの基本の使いまわし、ちょっとしたアイディアで十分だと思う。
だから100年後の未来の車といえども突飛なアイディアを求めず、
私たちは先祖様たちが築いてくれたものを大切にすればいい。

 

 




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