未来の車 50年先

50年先の未来の車を考える、それほど楽しい空想はない。

自分が生きているうちに、車の姿形はどれだけ変わるのか。

100年先では自分の肉体は滅びているから、50年先の未来の車を追い求めるのは分かる。

50年先の未来の車は燃料(炭化水素)を必要としていないと空想しよう。

ガソリンや石炭じゃなく、電気か水素を食べて、50年先の未来の車は走っている。

あぁ、ごめんなさい、そんなのは誰でも分かっていることでしたか。


ではもう一歩。

50年先の未来の車は空を飛んでいるから、タイヤを必要としていないんだ。

空っていっても、そんなに高く飛んでいないよ。

リニアモーターカーのように、磁力を使って道路から数十センチだけ、浮いている。

運転する人には違和感なく、普通にタイヤありの車を操縦しているのと同じだよ。

牛車や人力車、水車以来使っていた車輪・タイヤ、そういう概念が外されているのが50年先の未来の車

どうだい、この僕の空想は。あながち、違っているとは思わないけど、あなたの考えはどうだい?

 

 

 

 

それから、50年先には新しいカースポーツが人気。

ディーゼルやガソリンを燃料にして、4つのタイヤがあって、

マニュアルハンドルのクラシックカーを興味本位で運転する娯楽施設ができている。

人は懐古するから、そういう古の時代に想いを馳せるカースポーツが、大人気。

なんでも、「車が生きている」感覚が、50年先の人たちには「新しい」んだって。


ほら、楽しいね、50年先の未来の車を空想/創造するのって。

どれだけ変わっているかな、50年先には。

 

ハンドルがなくなっている?車体がスケルトンになっている?

エンジンはなくなるだろうけど、他になくなるのは何なんだろうね。

 

半世紀後 未来の車

半世紀後の未来の車を考える、それほど面白いことはない。

私は知っているよ、未来の車は半世紀後にも外見は変わっていない。

現在の道路を走っている自動車デザインは、この先も続いて行くのだ。

ただね、中身と言うか自動車の性能は格段に進歩している。


よく考えてごらん。

自然界では、数十億年も基本的に同じ形態で動植物は命を永らえている。

なのに、自動車だけが極端な形状変化を迎えるなんて、ムリがあるのだよ。


だから半世紀後の未来の車も、デザインは進化していない。

カーデザイナーたちは斬新なものを描こうとしたが、

結局はスタンダードな形が一番ユーザーに受け入れられるから。

 

 

 

 

そこで自動車メーカーは考えたさ。

中高年の層が厚くなっている時代だ、それならいっそデザインはリバイバルにすればいい。

昔に流行した名車の外見や名前をそのまま、

ただし、中身はハイブリッドの極みで、燃費が最高なもの。


これはどうだい、ある種の感傷、昔の栄光にひたるのも悪くないから、

憧れの車に乗れるのは嬉しいこと。

それに未来最高峰の燃費性能、車内装備が加わっているのだから、

なんて素晴らしい提案じゃないか。


こうして半世紀後の未来の車も現在と変わらない外観のものになる

ただね、進化し続けるパワートレーンは、もはやガソリンを必要とはしていないから、

旧態然としたガソリンがぶ飲み、

排気ガスもくもくの自動車は未来の道路には走っていないんだ。


この空想はどうだったかな?

あなたが求めている半世紀後の車のヒントになれば嬉しいのだが。

 

50年後 未来の車

外環道を走っていたハタチの頃、今思えば知識と経験が絶対的に不足していた。

50年後の未来の車を考えようとして、「自動運転」とか「CO2排出ゼロ」とか

派手なキーワードを並べる前に、一歩誤れば他人を傷つける危険運転を

引き起こしていた昔の自分のことに立ち戻ってみる。


カーナビもバックモニターもハイブリッドシステムもなかった時代、手動運転の感覚が強く残っている。

自動車という機械を、人という知能が操る、主体はあくまで人間だった。

聞こえは悪くない言葉だが、人間=ミスがあるわけで、そのミスは人を傷つける

 

 

未来の車を考える写真1.jpg

 

 

自動車のデメリットの本質は事故、暗くて表に出ないが自動車事故での怪我人・死亡者は深刻な現代病。

自動車メーカーが技術を競うのは自動車のメリットである便利さの追求のため?

いいえ、デメリットである事故死亡者の全体数の低減、可能性を下げるための取り組みだと信じたい。


50年後の未来の車でも一定の確率で自動車事故はあり、亡くなる人はいらっしゃるだろう。

突きつめていくと、私のハタチの頃のように十分な知識がないことが直接の原因、

例えばサイドミラーの死角や内輪差を理解していないとか、そういう安易なものが減少しているといい。

 

基本的な知識・経験不足を補うものが50年後の未来の車の人工知能であれば。

具体的なものは言葉にならないが、運転免許取りたてであっても初歩的ミスで人を傷つけない、

あるいは経験者ならではの慢心で基本的確認をおろそかにしたことによる事故を回避、

そういう夢を実現してくれるのが50年後の未来の車であると僕は考えている。


人間の感覚は大半が優秀でも、1割程度は粗が出る、自動車を扱っているとそれが最悪の事故につながる。

信じてはダメだよ、人間の感覚なんて。

 

技術の進歩がある未来では、機械に埋め込まれた人工知能によって人間が操作されるぐらいでいい。

目的は交通事故数の削減だ、50年後の未来の車への期待は事故被害で悲しむ人が減ること、それ以外にはない。 

僕が生きているこの50年の内に先が見えるかな。

 

 




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